ビリヤード、人気スポーツへの道(ブログ)

ビリヤードの楽しさを伝えるブログです

誰かと比べる必要性

けん玉は、1人の競技だ。ビリヤードは対戦するはするのだけども、ほとんど1人の戦いみたいなもの。なので、極論言いますと、自分以外の人がどーのこーのとか、そーゆーのは暇人の言う事であり、本当にビリヤードに向き合っている人に言わせれば「他人を気にする必要性はどこにあるんだい?そこに愛はあるのかい?」みたいなものだ。


ナインボールのルールはビリヤードやってる人なら皆が知っていると思う。ならば、ナインボールのゴールは9を落とす事なのだから、9を落とす合理的な方法を常に考えてそれを実行すればいいだけだ。迷いはない。


相手がどーのこーのというか、相手は最初から存在しないものなのに、何故かそこに相手を設定するのか?モチベーションみたいなものか?ビリヤード続ける理由は誰かに勝つためなのか?何のために打つのか?幸せかい?愛し合ってるかい?


私が40代なのがばれる。


ビリヤード台がある。球を転がす。手に響く感触。球と球が当たる音。ラシャの感覚。キューの重さ、微かなタバコの香り、サンポールで殺された微生物の鼻につく刺激臭、チョークの粉塵による空気の悪さ、男だらけの若干の酸味を感じさせる加齢臭、、なんの話?


私はこの頃、ほぼ一人でビリヤードしている。とても楽しい。たまには誰かとしてもいいけど、一人より楽しめるのか?

なんだか童貞みたいな発言ですね。