ビリヤード、人気スポーツへの道(ブログ)

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何が正しくて、何が間違ってるかの話

神様がいれば、それは神様が正しいので、それに従って生きればいいわけです。神が絶対的に正しいわけだ。しかしながら、我が日本の場合は神様が1人なわけではなく多神教ってやつで、まったく話が合わないというか、絶対的に合意に至るわけもないというか。

だからこそ法律があり、この法律を「仮の正しい事」とすることで、約束事とする事で統制をしている。民主主義なので「正しい事」を見つける事など、まあ、大変な作業であり時間がかかってしまう。だからこそ、「仮の正しい事。約束事」をする必要がある。

 

会社の上司と意見など合いません。しかし、毎回毎回「あなたは間違ってる!」などという議論などしていたら会社は潰れてしまうわけで「上司は正しいので、部下はそれに従う」という約束、ルールを敷くことで、円滑に仕事は進んでいくのだ。

 

正しい事なんていうのは、民主主義においては、ただのその人のエゴ、押し付けであって、正義を盾に進もうなんていうのはゴーマンな事である。ただ、それに賛同する人が多くいれば、それは正義になる。これがとても恐ろしい。要するに「道徳的に正しい」とかそーいった事はどーでもよくて、シンプルに「人気者の意見が強い」という事になる。仮に、その人気者がとんでもない悪人だとしても、それに気づくことが出来なければ、騙されて続けて、搾取されつづけて、気づいた時にはもう遅いのです。

 

倫理観というのが大切になっている。それはつまり、民主主義なので当然の結果なのだけど、倫理観と、正義とはまた別の話であり、皆が悪魔的思想を持っていた場合は、その悪魔的思想を持つ事が倫理的な行為となるので、「正義じゃないのに、正義になってしまう」という恐ろしい事になる。

 

自分の脳で物事を判断、考える事は、それはつまり倫理的ではないのだ。そして、正義ではないと判断されてしまう。少数派が、悪となるのです。