ビリヤード、人気スポーツへの道(ブログ)

ビリヤードの楽しさを伝えるブログです

やってる店はやってる 閉まってる店は?

やってる店はやっとる 閉まってる店は閉まってる ほんまやで


千鳥のこの漫才が大好きである。


さて、自意識過剰なのかな?とか思って周りを意識してみたり、そーしたら今度は忖度し過ぎでクソつまらんモノになってしまったり。

が、しかし、つまらんのは自分だけで、周りはけっこう楽しんでる可能性もあるし、、、。分からん。


最近気づいたのだけど、球の場所、身体のポジションによって、ブリッジが雑になってる事に気付いた。修正した途端にガシガシ入る。こーゆー風に上達していくのかなと思った。本当にちょっとした事である。



あ、そうそう。

論文というのがある。大学を卒業してる人は、書いたこともあると思う。私の場合は理系の大学だったから、大学4年の時は研究室に入り、夏休みの間はちょくちょく大学に行って実験をしていた。そして、卒業前にはその実験の結果を論文に書いて、教授の前で発表とかした。


論文というのは、何かを調べて、それをまとめた物みたいな感じ。これが正しいか、正しくないかは、相対的に判断されるみたいな、そんな感じです。明確な答えがないものが多い。

例えばダイオキシン。僕の大学の卒業論文では、ダイオキシンは猛毒な物質として扱われていたので「ノンダイオキシンの研削油の開発」みたいなテーマでやったのだけど、今はダイオキシンが人間には無害な事が分かっていて、あの実験と、論文は「意味ねー」という事になる。


何が言いたいのかと言うと、何が正しくて、何が間違ってるのかなんて判断できるのは、ずっと未来の事かもしれない。そうなると、自分の研究結果をそのまま思うがままに発表するのが正しいと思うわけです。これが合ってるか間違ってるかなんて、分からないのだから。


権威みたいものがある。ある程度の知名度、名声を得ている人の言葉を信じ込みやすい。疑いもせずに。「あの立派な人が言ってるのだから、きっと正しい事なんだ」なんて、信じてしまう。「お父さんが言ってるのだから、それは正しい事だ」みたいなものです。


自分の考えは、言うべきだと思う。胸を張ってね。恥を書くこともある。けれど、胸を張れれるような生き方の方が大事なのかなと、思ったり。


C級の皆さん、A級の人の意見を全部聞く必要はなく、独自の理論を展開するのと一理あると思うわけです。ブスタマンテのあのストロークを論理的に説明できる人はいるのだろうか?ストリックランドのあと顔の真横を通過するような、めちゃくちゃ離れているストロークの意味は?


ただ、一つ言えるのは、一回くらいはプロのレッスン受けた方がいいかも。やっぱり、違う^_^